2024年3月31日日曜日

光りの自覚


光りの自覚

宇宙は1つなる光の世界である。霊光のみが実在する。実在がなければ万象万物は現象化しない。
現象化しているということは現象の中に実在する光が存在しているということである。
すべては1つなる実在が多神を顕している。すべては1つの顕れである。
すべての原点は1つであり、見えるものはすべて1つの光の現象である。見えるものもそれを顕す見えないものもすべては1つの光の顕れなのである。
すべては1つの光、生命が現象化させている。宇宙は1つなる光が実在している。他に実在しているものはない。
すべては1つなる光りが実在しているだけで現象は様々あるが、すべての現象は1つなる光によって顕されている。すべての現象は光りなのである。見えるものはすべて光の陰なのである。
光と影は1つである。光が我であり、現象は我を顕す顕現道具である自覚を持つ。
人間は仮相であり、仮相を信じると実在しない諸行無常の生老病死に囚われ自縛してしまう。人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた、光り、生命を吹き込まれたと。
宇宙に実在しているのは生命、光であって人間は実在していないのである。消えるものはすべて変化して止まない仮相現象なのである。
我は仮相現象の人間ではなく、現象を顕している生命が我である。



 

人間は地上界に蒔かれた天の星々たち


人間は地上界に蒔かれた天の星々たち

宇宙は1つなる光の生命体。地上界には光の天使が蒔かれている。この天使の種は自らの光の種に気づき光を権限して行く星々たちである。
80憶という天使の光の種が地上界に蒔かれている。地上界が光りの星になる為に。
今、地上界は天より光りの種が蒔かれているが、人間には自由意志が与えられている為、現象である人間の姿、形に囚われ、本来の天の使いを忘れている。仕事をせず、仮相界で遊びコケている。その代償として波動の低い現象界から、波動の高い元の自分に戻れない状態なのである。自分で波動を下げて現象界に滞在している。
波動が上るまで輪廻を繰り返される。輪廻は修行です。
天が現象を顕している。我は天によって天を顕現する為に造られた天の顕現道具を自分と勘違いをしている。人間と云う媒体を使って光を放す星々が我なのである。
天の霊光を顕現媒体を使って放射させる。現象肉体は光りの顕現道具なのである。
顕現道具に生きると現現させる光を顕現することが出来ない為、肉体と光はバランスを失い崩壊してしまう。
人間と云う現象に生きるとアンバランスになり、光を放射させるまで再生される。

 

2024年3月30日土曜日

我は真理なり 真理我が中にあり

 

我は真理なり 真理我が中にあり 

宇宙真理は1つなる生命である。真理は1つなる実在である。永遠なる生命である。
真理は神であり、仏である。
この1つなる真理が原因なき原因であり、様々な結果現象を顕している。原因と結果は1つである。
これが真理である。1つなる生命が原因であり、この原因が真理である。宇宙の原因は1つなる本源本質が真理である。
1つなる生命は我が中に実在している。真理は手よりも足よりも近い所に存在している。
真理が現象を顕している。現象をあると信じることで真理から外れてしまう。
真理は我が中にあり、真理に生きるは永遠であるが、見える現象に生きることは有限になってしまう。肉に生きるは死であるとイエスも云っておられます。現象意識から実相意識になるまで、輪廻で再生させられる。
真理に生きるか?現象の人間に生きるか?は本人の自由意志を犯すことはできない。



実在は永遠 現象は有限


実在は永遠 現象は有限

宇宙は1つなる生命体。久遠の生命体。1つなる生命体のみが実在である。その他に実在するものは存在しない。
現象は見えるもの。見えるものは1つなる実在の化身として現象化している。現象は変化して止まない消極なるものである。現象が永遠になることはない。
人類は見えるものがあると信じ、仮相を実在と見誤り、仮相の中で生きている。
我の実相は永遠である。見える形をあると意識した為に、永遠なるものから有限なる生き方になってしまった。宇宙は永遠である。永遠の中で、有限なる現象に生きているのは自分自身である。現象をあると信じる心が有限なる仮相を造るのである。想念は実現の母である。
この世は霊界であり、想ったことが顕れる世界である。


 

2024年3月29日金曜日

永遠なる生命が生きている


永遠なる生命が生きている 

茄子が生きているのではない
生命が生きている

キュウリが生きているのではない
生命が生きている

ライオンが生きているのではない
生命が生きている

象が生きているのではない
生命が生きている

人間が生きているのではない
生命が生きている

見える現象が生きているのではない
生命が生きている

宇宙は1つなる生命が
万象万物を通して生きている



真理は宇宙法則


真理は宇宙法則

宇宙は1つなる生命である。無限生命、普遍生命である。すべては1つである。
1つなる生命が多神を造る。すべての多神は1つなる生命によって現象化されている。
宇宙は物質界ではない。霊界である。現象は変化して止まない世界である。この中に万象万物、人間も現象化している。現象を顕している世界が実在界である。
人類は人間は神に似せて造られた特別な存在なのであるが、人間は万物の霊長の仕事をしていない。人間には与えられた仕事があるのだが、仕事を全うせず、地上界で傍若無人に振舞っている。真理を知らない振る舞いの罪を犯している。
現象界は人間が生きる世界ではない。
地上界に生命エネルギーを顕現させる使命が人間には与えられている。
宇宙の法則は真理であり、法則違反で人類は永遠なる生き方から有限的な生き方を強いられている。
現象に生きるは死、生命に生きるは永遠。人類は永遠なる世界の中で有限な輪廻の中で生きている。
宇宙は神一元の世界である。見えるもの、見えないものすべて神なのである。
見えるものだけを見て外に神を求めている人類。これに早く気づくことが人類の大きな進化である。人間は神によって顕されている存在であり、神そのものが人類なのである。
聖書に書かれているように「すべてのすべてありてあるものは神」なのである。
宇宙には神以外、存在していないのである。現象を見るから神を外に求めてしまうのである。












 

2024年3月28日木曜日

現象をあると思う心が地獄の住人である


現象をあると思う心が地獄の住人である

宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、1つと云うことは完全であるということである。
原因、結果の法則、これは1つの法則である。
原因は神であるなら、結果も神である。
これを神と現象である人間を分けてしまった為に永遠なる生命を分離させ、有限なる現象に分けてしまった。これがエデンの園から追放されたということになる。
1つの生命は永遠である。こ゚の生命を見えるものだけを見て見えない生命を切り、有限なる現象に生きることになってしまった。
現象と生命は2つで1つなのである。生命と現象は切り離せないのである。
木から花を切り取り、花瓶に挿すようなものである。有限になってしまう。
人間も同じである。生命から現象を切り離したら永遠なる生命から切り離すことになる。
現象に生きるとは生命から離れて生きるということになる。
完全なる中に居て有限なる地獄界に生きる。これは自ら現象を認めることで自分で地獄界の迷妄に入ってしまうのである。人間は存在しない、存在すると思うから生老病死の四苦に囚われてしまう。イエスが云われる肉に生きるは死であると。生命のパンを食せよと。


 

 霊太陽が万象万物を現象化させている


霊太陽が万象万物を現象化させている

宇宙生命は1つであり、1つなる生命が多神を顕しているのである。1つなる生命が多神を顕しているが、1つなる生命と多神は1つである。
神の被造物は被造物と神は1つであり、分離はしていない。分離していると思う為に、2元論になってしまう。原因、結果は1つである。
宇宙は神1元である。神以外存在しないのである。人間には自由意志を与えられている為、見えるものだけを見て、それを実在と見てしまう。これが人類の大きな間違いなのである。
現象の中には必ず、実在の生命が宿っている。内なる生命が外なる現象を顕している。
お釈迦様が云われる自灯明、法灯明である。
人間と云う現象は何故現象化しているのか?
永遠なる生命が肉体の顕現媒体を通して生命エネルギーを顕現する為に媒体として存在しているのである。
仮相人間が生きる為ではない。消え行く仮相に生きても意味はないのである。
仮相界は生老病死の変化して止まない世界である。永遠なる我が変化して止まない消え行く世界に生きることは絶体にないのである。現象界は仕事場なのである。
現象界でも仕事はその場を良くする為に働いているではないですか。
人間も生命エネルギーを顕現し、地上界の波動を上げる為に存在しているのである。
地上界で人間が生きる為ではないのである。
人間という仮相に宿る神の種に気づき、生命を顕現させる。顕現させることで地上界の波動を上げる。これが現象界で成さねばならない使命なのである。


 

2024年3月27日水曜日

人間は真理を知らない罪人


人間は真理を知らない罪人

宇宙は1つなる真理である。1つなる実在である。
1つなる真理が多神を顕している。
真理とは永遠なるものである。宇宙には1つなる真理が実在している。万象万物は1つなる真理の現象である。
真理は現象の中に宿っている。真理がなければ現象は顕れない。現象があるということはその中に真理が内在し、真理が現象を顕しているということになる。
現象の中に蒔かれている神の種を開花させなければならない。今、人間だと思っている我を内なる神に気づき、肉体ではない、内なる肉体を顕している真理が我であることに気づき、心の華、精華を開かさせる。お釈迦様が云われるように肉体は真理の乗り船なのである。
人間は真理の乗り船を自分として生きているため、自分が盗人であることにも気づかない。
宇宙は1つなる無形無双の生命である。1つなる生命のみが実在している。これが真理である。それでも仮相なる見える人間に生きようとする。現象は真理の乗り船なのである。
これに気づくまで、再生されられる。宇宙は1つなる永遠なる生命体であり、永遠なる生命体の中に居ながら、有限なる生き方が当たり前だと感じている人間。現象に囚われてしまっている人間。現象に生きるから有限になる。生命に生きれば永遠。有限に生きることは神への反逆行為である。










 

すべての現象は1つなる生命現象


すべての現象は1つなる生命現象

宇宙は1つなる本源本質の生命体である。宇宙には1つなる生命のみが実在する。万象万物は1つなる生命の化身である。これが真実である。
宇宙には無形無双の1つなる真実のみが実在する。
現象は1つなる生命が形態に宿り、自らを形態を通して顕している。見えるものとそれを顕している見えない生命は1つである。
波動が低い為、見えるものしか判断できない。それは現象があると信じている為、顕している真実が見えないのである。邪念がある為、真実が見えないのである。
意識は三位一体であり、気体が固体を顕している。見えないものが見えるものを顕している。
すべて同じものである。1つの真理が宇宙にはあるのみである。
宗教家は見えるものから法を説いているが、現象からは真理は理解できない。
仮相から実相は紐解けないのである。実相は神であり、仮相は人間である。
人間は神実の顕現道具なのである。神は内にあり、それを顕現するために人間と云う形態が存在している。人間は神を顕す顕現媒体道具なのである。人間は神によって造られた神の顕現媒体なのである。現象は見えない生命の顕われであり、見えるものはすべて神の顕れ、神の権限媒体である。現象はすべて神の顕れである。すべては1つなる神の現象である。
現象は神を顕現させる媒体。媒体がなければ神を顕すことができない。人間と云う顕現道具を通して地上界の波動を上げる為に現象化しているのである。波動が上れば争いをなくなる。
波動が低い為に争いが起きているのである。1つであれば争いはおきることがない。



2024年3月26日火曜日

現象は神、仏が顕している


現象は神、仏が顕している

宇宙は1つなる根源、無形無双の生命エネルギーが実在しているのみ。
この無形無双の生命を神、仏、と呼んでいる。
無形無双の1つなる宇宙生命、神、仏が八百万の神を顕している。
神が外に居て現象を顕しているのではなく、神、仏が現象の中で八百万の神を顕しているのである。
原因、結果の法則。原因、結果は1つである。
原因なる神、仏が様々な形態を造り、その中に宿り、現象を顕している。
外なる神が現象を顕しているのではなく、内なる神が現象を顕している。
現象の中には必ず神、仏が宿っている。これから神、仏になるのではなく、初めから神、仏が宿り、現象化させているのである。天国は汝の内にあり。神は汝の内にありと云うことになる。
神、仏を外に求めていては神を見つけることはできない。また神は内にあると云いながら、神と自分を分離してしまうものまで出てくる。神と現象は1つである。神は人なり、人は神なりである。
これから神になろうとしてもなれない。我は初めから神であり、神が神に成ろうとしてもなれない。得ようとするものは奪われる。




神は自ら造る媒体を通して顕われる


神は自ら造る媒体を通して顕われる

宇宙は神1元であり、神以外実在しない。
無形無双の神が八百万の神を分霊を通して顕している。
人間は万物の霊長であるということは知っていてもすべてが霊であることまでは考えない。
宇宙は霊体であり、霊が様々な形態を造り、霊がその中に宿り、現象化されている。霊が形を止っているのであって形は現象として見えているだけなのである。
自分の中に神が宿っていると思っていても神と人間は別で一体になるという考え方になってしまう。
素直に神のみが実在していると思うことができれば、すべては神であることが理解できる。
原因結果は同じもの1つであることが中々認められない。人間は神とは別物であると信じて、現象から神を見てしまって人間は神の現象であることを認めない。
聖書にあるように
すべてのすべてありてあるものは神であると云っても中々理解できない。
人間が動いているのではなく、神が形態に宿り、神が働いているのである。
卵は人間が食べる為のものではなく、卵の中のヒナが孵化するためのものであり、人間も内なる生命、神が光を顕現する為にある神の顕現媒体が人間なのである。







2024年3月25日月曜日

観自在 無碍自在の我


観自在 無碍自在の我

宇宙は1つなる無刑無双の霊体である。観自在、無碍自在の世界、自由自在の世界である。
この霊界のみが実在している。これが宇宙の根源である。
この根源エネルギーが宇宙の全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
宇宙は1つであり。すべてが霊であり、神であり、仏であるということである。
神、仏は1つなる生命が現象化させる力であり、知恵である。宇宙の根源生命エネルギーである。
この根源生命エネルギーによってすべての万象万物に生命が宿り、具現化されている。見えるものすべてが神の具現である。「すべてのすべてありてあるものは神であり、仏である」
生命エネルギーによって現象化している万象万物は生命の完全バランス、愛の法則によって現象化されている。
原因は完全、結果も完全であるが、これを不完全にさせているのは造られた現象をあると信じる心が完全なる現象を不完全にしている。
観自在、無碍自在の我が現象の我を自分だと錯覚するとバランスを崩す。現象をあると思う心が分離感を生み、アンバランスを起こし、肉に死ぬことになる。肉に死ぬとまた人間に再生される。




人間に生きるは宇宙の法則違反、罪人である


人間に生きるは宇宙の法則違反、罪人である

宇宙は1つなる生命であり、1つなる生命が様々な形態を顕し、1つなる生命が形態を通して生命活動をしている。現象が生きているように見えるが実際に生きているのは見えない生命なのである。
人間は生命の顕現媒体であり、顕現媒体に生きようとすると形態バランスを崩してしまう。顕現媒体に生きることが善悪の木の実を食べるということである。生命に生きることが善なのである。
完全に造られた神の被造物を不調和にさせ、崩壊させてしまう。これは法則違反であり。罪である。人間に生きるとは罪に生きることになる。
宇宙は全知全能の神が顕現しているのであって人間は全知全能の神が顕現媒体として顕れているだけなのである。
人間が居て科学技術を発達させているではないかと云うがすべて神の御業なのである。人間には何の力もないのである。
肉体を通して御業を成しているのは神である。錯覚なのである。
宇宙は完全完璧なる生命であり、神であり、神は学ぶことはないのである。顕すだけなのである。その媒体として神によって人間と云う形態が現象化しているのである。神の全知全能の力、知恵を顕現させる為に造られた顕現道具が現象人間なのである。

 

2024年3月24日日曜日

生命は光り 人間は光りを顕現する媒体


生命は光り 人間は光りを顕現する媒体

宇宙は1つなる生命体、霊光である。宇宙には1つなる霊光のみが実在する。
宇宙には姿、形は実在していない。無形無双の霊光のみが実在している。見えるものはすべて1つなる霊光の現象である。人間は万物の霊長であり、すべては霊光の化身である。
すべてのすべてありとあるものは霊光の化身である。霊光が化身を顕しているのであって見える現象は霊光の顕れである。人間も原因なる霊光の結果現象であり、故に肉体は実在していないため、消えて普遍原質に戻る。宇宙は不変不動の1つなる生命体である。
宇宙の本源本質は霊光であり、生命である。こ゚の生命が原因なき、原因。愛の法則、創造の原理、全知全能の力、知恵である。
人間は光りの顕現させる媒体として生命によって造られた生命の宮である。
仮相人間が現象の肉に生きようとするとバランスを失い、低波動のため、輪廻が繰り返される。生命の実相に戻るまで。
本来の実相は1つなる生命であり、人間だと錯覚して現象に生きると見える低波動意識のため、生老病死の四苦に囚われ、自ら造るサタンに生命エネルギーを抜かれ、肉に死ことになる。肉に死ぬは再び人間に再生される。これが輪廻である。



 

神は人なり 人は神なり


神は人なり 人は神なり

宇宙には1つなる生命のみが実在している。
見えるものは1つなる実在の化身である。
万象万物はすべて現象、人間も現象なのである。
人間がいると思う心が善悪の心を造り出す。宇宙には現象は実在しない。1つなる生命が実在し、現象を顕している。1つなる生命が化身として顕れている。人間は神に似せて造られた。人間は神の顕現道具として神によって造られている。人間と思っているのは神の顕現道具を自分と錯覚しているだけである。人間は仮相であり、実在しない。見えるものはすべて仮相であり、実在していない。消え行く存在である。実在とは永遠であるということである。人間は神によって造られている。神によって造られている現象媒体を人間と誤診していることを悔い改めなければならない。
人間と神がいるのではない。神のみが実在している。宇宙は神一元の世界であり、神と人間がいると思う心、実在しない善悪の心を自ら造り、自らを自縛させている。この二心が輪廻になり、また人間に再生されてしまう。宇宙に実在しているのは神のみである。
原因は神であり、結果も神なのである。神が造り主、造られた現象、人間も神である。
人間は神の顕現媒体として神によって造られている。神の働く顕現道具なのである。
この現象道具を神と一つに霊化し、神の生命エネルギーを顕現させる。そのために神が現象化させている。
すべての見えるものはすべて神の生命エネルギーを顕現する媒体として顕れている。


2024年3月23日土曜日

神、仏が様々な現象を顕している


神、仏が様々な現象を顕している


宇宙は1つなる真理であり、神であり、仏である。1つなる生命は真理であり、実在、実相である。
これが1つなる宇宙の本源本質である。
原因なき、原因、処女解任である。
宇宙は中性なる永遠なる実在の愛の生命体である。 
1つなる生命体が様々な形態を顕し、生命が形態を通して顕れている。
形態があるのではない。生命が形態を通して生命が顕わてているだけなのである。

見えるものがあるのではなく、見えない生命が形態を顕し、生命が生きているのである。現象は生命によって造られた生命の顕現道具である。神の宮である。
人間が死ぬということは実在していない現象であるということである。
実在とは永遠ということである。消えて行くものはすべて仮相であり。実在していない。幻想である。実在が仮相を通して実相なる神が顕れている。我は人間ではなく、神なのである。
宇宙は1つなる神一元の世界である。現象をあると思う心が自らを自縛させている。
1つなる実在なる生命のみが宇宙には実在している。これが神であり、仏である。
神、仏が様々な形態に宿り、神、仏が現象を顕している。八百万の神を顕している。
八百万の神がいるのではない、1つなる神が八百万の神を顕しているのである。
すべてが神ななのである。



人生は自分の描いたシナリオ通り


人生は自分の描いたシナリオ通り

想念は実現の母。自分の描いた想念が現象として顕れている。それ以上、以下でもない。
良いシナリオは良いシナリオが表現される。悪いシナリオは悪いシナリオが表現される。
想ったことが顕れる1つなる大霊界、生命界である。人間は万物の霊長であり、すべてが霊の化身なのである。宇宙の真理である。これを神、仏と云っている。神、仏が存在している訳ではない、生命は見えない為に神、仏と呼んでいるだけである。
神のシナリオなら神が顕れる。本来の我が顕すシナリオは神の想念である。現象界の想念は自我の想念であり、本来の想念ではないのである。人間は神の生命を顕現する為に一時的に神によって現象化している、
人間は神の想念を顕す媒体であり、現象結果の人間が生きる為現象化しているのではない。
人間は現象であり、仮相であり、実在してはいないのである。仮相が想念すると分離感のため争いを起こしてしまう、地球上の争いはこの分離感から起こる。このエネルギーも神のエネルギーであり、神のエネルギーを不完全で使う為、この現象界から抜け出せない。人類は今、神の完全なるエネルギーを不完全な形で使っている。神への反逆を犯している。
実相なる神が生命エネルギーを顕現させる為に仮相なる人間を媒体として造られている。
実相は見えない。見えない生命なる実相を人間という顕現媒体を使い、生命を顕現させようとして道具、神の宮を神によって現象化させている。人間は存在しないのである。
人間が自分で動いているように見えるが内なる生命が人間と云う媒体を使って生命が顕しているのである。
人間この事を知らず、自分で動いていると錯覚し、自縛し、輪廻で再生させられている。
自分が自分の力で動いていると勘違いをしている。人間が動いているのではなく、神が動いているのである。人間は神によって造られた顕現道具であり、人間には何の力も持ち合わせていない。人間は質料であり、受動であり、能動成るものによって動かされている、霊肉一体で生命エネルギーによって肉体は動かされている。
現象は原因によって造られた原因の結果である。結果は原因により、結果は動かされている。
結果は単独で動くことはできない。一体で動くことができるのである。愛の法則によって動くのである。
パソコンも幾ら性能が良くても電源がなければ動けないように、人間も生命エネルギーがなければ動けないのである。生命エネルギーは神であり、仏である。
神、仏が人間媒体を動かしている。宇宙神、宇宙は神であり、神が宇宙の質料を通して顕れているのである。
「人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれた」宇宙は1つなる息なのである。
宇宙の1つなる息は1つなる生命である。1つなる生命が多神を顕している。宇宙は1つなる生命の顕われ、宇宙は1つなのである。1つの中に争いは存在しない。
人類はこの事が理解できない為、分離感で争いを起こし続けている。



2024年3月22日金曜日

現象の中の生命が我である


現象の中の生命が我である

宇宙生命は中性なる無限大なる生命エネルギーである。力、知恵、創造の原理である。
中性なるが故に想ったことを顕すことができる。
すべての原点(天)は無形無双の生命である。
すべては1つであり、1つの生命の顕われであり、1つなる生命が神である。
今まで神を分離感で外に求めさせられてきたため、本来の我に気づくことができなかった。
この気づきが本来の我に気づき、知ることになる。人間の姿、形は神の顕現道具であり、神の働く宮である。勝手に形を見て人間がいると錯覚し、諸行無常の変化して止まない普遍原質に惑わされてしまっている。本来の我は神であり、神我顕現するための道具が人間なのである。
自分が創り出した迷妄、サタンに憑りつかれている。
我が中に生命が宿り、これに気づき、昇天して行かなければならない。これは中途半端ではできない。有限意識から無限意識に変性させなければならない。
現象界は仮の宿であり、今生で自分は内なる生命、神の種に気づき、生命に同化させ、1体にさせ生命を顕現させる。これが目的なのである。神の自覚とは自分は神であることを知るという意味である。
すべての答えは汝の内にあり。汝の神は汝自身なり、汝の仏は汝自身なりである。
外なる内なる神我との戦いである。外なる誘惑に負けるか、誘惑を振り切れるかである。
この世で富めるものはラクダが針の穴を通るが如しである。





愛のエネルギーがすべてを具現させている


愛のエネルギーがすべてを具現させている

宇宙は1つなる愛のエネルギーによって万象万物が現象化されてい
愛のエネルギーが宇宙の本源本質である。宇宙に実在しているのは愛のエネルギーのみである。
この愛のエネルギーを想念によってどのように使うかは自由意志を持たされている人間に任されている。良くも悪くも自由に使いことができる。
人類はこの愛のエネルギーを正し使わず、神に反逆し、現象の人間がいると思い違いをし、勝手に使っている。その為、本来の目的である神我顕現である使命を忘れ、仮相なる自分の為に使ってしまった、
愛のエネルギーは愛の顕現に使う為に造られた神の宮であり、人間は顕現道具をこれを自分と錯覚し、現現道具に生きてしまった。その為、永遠なる生命から有限なる現象界の生き方に自らの波動を下げてしまった。
本来の生命の生き方に戻すには現象の中に蒔かれている神の種に気づき、心の華を咲かせなければならない。外は人間、内は神である。外なる現象は変化して止まない諸行無常の世界である。この現象を顕している内なる永遠なる原点、原天である無限無相の愛のエネルギーに意識を戻さなければならない。これが現象界でなさねば成らない大事業なのである。
この世の消え行く世界の中で豊かな生活をする為に生まれてきているのではないのである。




2024年3月21日木曜日

生命のけなげさ


生命のけなげさ

宇宙は1つなる生命体である。永遠なる無形無双の生命体である。宇宙にはこの無形無双の生命体だけが実在している。他に実在しているものは存在しない。
1つなる宇宙生命体は万象万物を現象として顕し生命が媒体を通して働いている。
太陽系惑星の中に地球惑星がある。この惑星は天地に分けられた低波動の惑星である。
この中に人間と云う現象の中に神の生命体が顕現させる為に人間が現象化している。
人間には自由意志を持たせた神の種が蒔かれている。この神の種に気づき、生命エネルギーを顕現する為に。
人間は神によって造られた神を顕現する神の宮なのである。人間は存在していない。
人間には自由意志を持たせている為、神の宮を自分と思うこともできる。
神の顕現道具を勝手に自分であると錯覚して使ってしまっている。盗人である。
現象はすべて神を顕す顕現道具なのである。
肉体は神によって造られ、神によって維持管理されている。全知全能の神がすべての万象万物を維持管理されている。人間は神の現現道具を錯覚し、自分と思って使っているが、御業を成しているのは神なのである。人間には何の力もない、神が肉体を通してすべて神が御業をなしているのである。拒否せす、けなげに御業をなしているのである。
人間は自分の力であると信じて疑わない。神に気づくまで神はけなげに働いている。
現象は変化して止まない、諸行無常の世界であり、この中で人間は生老病死の四苦に囚われ、朽ち果てて行く。これがカルマである。本来の生き方は神の宮を使って生命エネルギーを顕現する目的なのである。
意識が神なら二度とこの地には現われることはない。現れているということはまだ波動が低いということでになる。
生きている内に成仏できなければ、死んでは成仏はできない。
現象界で波動を上げなければ又人間に再生される。
現象界は本当の我に戻るために大切な場所なのである。仮相界で豊かに生きることではない。この世は仮の宿、俗世、浮世と云われる幻の現象界である。







 

すべての見えるは実相の顕れ


すべての見えるは実相の顕れ 

宇宙は1つなる生命のみが実在している。
全知全能の無形無双の生命のみが実在している。
見えるものはすべて実相の現象である。
仮相と実相は2つで1つである。
天地一体である。天が地を顕している。
宇宙は無限大の宇宙生命体である。
無限大の宇宙生命エネルギーが宇宙の塵質料を通して顕れている。宇宙に実在しているのは無形無双の生命法則のみが実在している。
実相が仮相を顕している。実相と仮相は1つである、仮相の中に実相が宿っている。仮相は実相の衣装である。実相を顕す顕現道具である。実相がなければ仮相は具現することはできない。宇宙は実相なる生命体が仮相の現象を通して顕顕現している。
実在が仮相媒体を通して顕すための道具である。
実相は原因なき、原因、全知全能の力であり、知恵である。この実相が万象万物を通して顕われている。原因がなければ、結果を顕すことができない。原因、結果は1つなのである、
人間は造り主と造られた被造物を分けたがる。現象からしか見ることが出来ない為に神と人間を分離させてしまう。原因が神なら、結果も神なのに。原因は神、結果は人間と分離させてしまう。
宇宙は1つなる生命体、1つなる実在があるのみである。天地一体。天が地を顕している。天だけが独存しているのである。
現象は1つなる生命が顕す媒体として神が自ら媒体を造って顕れている。すべては1つの生命、神であり、宇宙の永遠なる本源本質が実在しているのみである。




2024年3月20日水曜日

能動原理と受動原理


能動原理と受動原理

能動と受動は2つで1つである。天地一体であり。天は能動であり、地は受動である。天と地は2つで1つである。天が地を顕し、天を顕す媒体として地がある。
現象界は2つで1つなのである。心身一体。霊肉一体。見えるものだけを使うとバランスを失い、崩壊してしまう、原因、結果の法則であり、原因が結果を顕しているのである。原因がなければ結果を顕すことはできない。現象は原因の結果なのである。原因結果は完全バランスであり。このバランスが崩れると現象は崩壊する。人間の現象もバランスで保たれている。
人間は現象だけを見ている為、このバランスが崩れることが病気であることに気づかない。
現象界でこの原理を理解し、肉体が我ではなく、肉体を顕している天が我であることに気づき、現象は天の無限大の生命エネルギーを顕現する為の媒体であることを知る。
天地一体、霊肉一体、心身一体、自他一体とは天と地は1つになり、顕現させるという意味を持っている。現象と現象を顕している霊は1つなのである。実在しているのは神のみが実在している。宇宙は神のみが独存する世界なのである。



想念によって現象化される


想念によって現象化される

現象は想念によって顕れる。
想念は実現の母である。
今の自分の想念が今の我を顕している。すべて今の重いが現象として顕れている。すべて自分の想いの結果である。
良いことを想えば良いことが顕れ、悪いことを想えば悪いことが顕れる。これを現象界で学び想念意識のコントロールを学ぶ。
悪いことを想えば自らが不調和になり、バランスを失う。宇宙はすべて完全バランスであり、現象は変化して止まない世界である。現象は完全バランスの結果であり、生命エネルギーの顕現道具であり、生命エネルギーによって造られた神の宮である。
神の宮である現象肉体をあると信じて、仮相に生きている人類、あると意識したものが顕れてしまう。良くも悪くも。
現象は仮相である。実在しないものを信じることにより、それが顕れる。
それを顕しているものは神であるが、神は神を顕すために現象を顕しているのであるが、この現象を自分と思って神の反逆行為をしているのが人間である。人間は仮相であり、実在しないのである。実在しているのは神のみ、生命のみなのである。



 

2024年3月19日火曜日

人類は神ベの反逆行為に気づかない


人類は神ベの反逆行為に気づかない

宇宙は1つなる完全完璧なる永遠なる生命体である。この完全なる生命体の中に見えるものは生命の現象として顕現している。
1つなる生命が生命の化身として顕れている。
この無形無双の神の法則によって現象化されている。顕しているのは神というか、法則が現象化させているのである。この現象化されている 姿、形の人間の形態道具を自分と思い錯覚してしまった。
これは神への反逆行為であるということである。現象は生命によって、法則によって具現されているだけなのである。すべては法則によって現象化されている。人間の存在は現象であり、人間は実在していないのである。神の生命エネルギーを顕現させる媒体が人間なのである。
宇宙は神の法則、生命の法則のみが実在しているだけである。
人間は細胞の形に名前を付けているだけで人間は存在していないのである。人間は形の名前であって細胞の集合体なのである。人間は生きてはいないのである。生命エネルギーを顕現させる媒体が人間の形をしている肉体細胞が生きているのである。生きているのは細胞であり、人間ではないのである。
何ぜ、この迷妄に陥ってしまうのか?それは人間には自由意志が与えられている為である。
人間は外観であり。内は細胞の集合体である。人間が生きているのではなく、細胞が生きているのである。万象万物も細胞であり、細胞体に名前を付けているのである。宇宙は1つなる細胞体なのである。1つの細胞体の中には時空間はないのです。
現象の細胞体はバランスで細胞を管理している。ガンもウイルスではなく、つくり主とつくられた細胞のアンバランスで起きるげんしょうである。
この完全バランスによって形態が維持されている。このバランスをアンバランスにしてしまうのは現象を見て現象をあると信じる心がアンバランスを起こす。
現象は消えて行くが、亡くなることではなく。普遍原質に戻るだけなのである。不生不滅である。
初めから完全なのです。完全を不完全にしているのは現象の姿、形をあると信じる人間の心が不調和を起こしている。完全なるものを不完全にしているのは現象をあると思う人間の心なのである。存在をしていないものをあると思う心が自分を自縛しているだけなのである。
宇宙には人間は存在していないのに、存在していると思う心が自縛させている。
神が現象を起こしているのに、すべては神なのに見えるものだけを見て自分と錯覚しているだけである。現象を自分と思っている人間は罪人である。
神の顕現道具を勝手に使い、神への反逆行為をしておきながら、神に助けて下さいと物乞いする。人間は細胞の外なる形である。生きているのは人間の外なる形ではなく、人間の内なる細胞なのである、人間は外なる形を人間と呼んでいるだけなのである。内なる細胞が本体なのである。人間は細胞の形の名前なのである。


 

生命とは完全完璧なる宇宙法則


生命とは完全完璧なる宇宙法則

宇宙は1つなる完全完璧なる永遠なる生命体である。宇宙の本源本質である。この1つなる生命が様々な形態を造り、形態に宿り、生命が生きている。見えるものが生きているのではなく、見えるものが見えないものが実在し、衣装を纏い、1つなる生命が、見えるものを通して生命活動をしている。
人間には自由意志が与えられているため、想念によって自由に具現することができる。
人間は神の被造物として現象化しているが、この現象を自分と錯覚して、現象に生きてしまった。現象に生きてしまったと云っても神の顕現道具には変わらないので、現象で神の生命エネルギーを勝手に使ってしまい、永遠なる生命の我が、有限なる生き方に自らを自縛している。
完全なる永遠なる生命しか宇宙には実在していない。この現象化している神の現象を我と錯覚して変化して止まない現象に生きてしまった。
完全を不完全にしてしまったのは変化して止まない仮相現象を自分と信じ、生老病死の四苦に持て遊ばれている。
完全なるものの化身の現象だけを見て、変化して止まない現象を受け入れて不完全と思う心が自分を自縛させている。完全でなければ現象は顕れないのである。
不完全から完全にはなることはない。結果から原因には戻すことはできない。
仮相の現象の中には必ず原因が存在している。これに如何に気づき、完全なる我を知ることで、使命を果すことができる。天地一体。天なる原因が地を顕している。天と地は1つなのである。現象だけを見てしまうため、顕している本源本質を切ってしまっている。
裏が表を顕している。裏とは神、生命である。
生命を顕現させる為に現象化してるのである。人間は神の顕現道具なのである。







 

2024年3月17日日曜日

現象人間から法則を学ぶ


現象人間から法則を学ぶ

現象人間は直立二足方向で生きてている。
身体の使い方で「小手先」と云う言葉がある。
これは上半身リードで身体を動かしてしまいことである。身体を動かす時、上虚下実で動かすことで、上半身を虚の状態で動かすことができる。
何故、上半身を虚にしなければならないのか?
身体の作りは下半身には70%の筋肉、上半身は30%の筋肉である。
上半身は胸は肋骨で守られ、頭も頭蓋骨で守られている。これだけ見ても上半身には力を入れれてならないことが理解できる。
昔から能力を出す時。脳幹部の思考の停止をされる。五感のシャットアウトである。
上虚になるということは何も考えないということである。無我の境地を造る。
今まで学校教育で学んで能力を出そうとしてきたことが、間違いであるということになる。
宇宙生命は無形無双の虚の世界。無我の世界。生命の世界。
この事からも現象は結果であり。無我の世界、生命の世界。全知全能の世界がすべての現象を顕している。生命は法則であり、愛の完全なる法則である。
これが宇宙の本源本質である。本源本質は1つである。完全なる生命、永遠なる生命法則のみが実在している。


 

宗教では人を救えないのか 何ぜ


宗教では人を救えないのか 何ぜ

宗教とは宇宙の教えと書く。法則である。法則によて人間は現象化している。宇宙は1つなる生命体である。1つの生命体の中に有限なる現象である人間は仮相であり、実在していないのである。
でなければ宇宙は無限生命にはならないのである。
1つなる生命とは完全なる生命体であり、完全なるが故に現象として顕れているのである。この世を俗世、仮の宿、浮世と云われるのはこのためである。
現象は1つなる生命を顕現する為の現象であり、生きる為に人間が創られているのではないのである。この真逆の考えが人間を迷妄の迷路に陥ってしまうキッカケになっている。
実在しない仮相の現象に身を置く為、様々なものに悩まされ、エネルギーが奪われて行く。
変化して止まない現象の人間から不安、悩みを取り除こうとしても消え行く不安を消すことはできない。それを取り除こうしているのが宗教だろう。
生命法則によって現象化している現象人間、万象万物すべて1つの生命の顕われである。
宇宙は神1元、生命界、生命界が現象を顕している。消え行く現象から悩みを取り、豊かな云生き方をしようとしても無理なのです。宗教は現象を生きようとするが、法則は完全であり、完全を不完全にしているのは現象をあると信じる心、実在しない自我の心である。人間意識である。これが邪魔をしている。
真理は1つである。すべて完全なものを不完全にしているのは現象をあると信じる人間の自我である。宗教があるとすればこの現象の克服でないのか?これは宗教でなくてもできる。


 

2024年3月16日土曜日

肉体は生命の顕現道具


肉体は生命の顕現道具

宇宙には1つなる生命のみが実在している。
原因なき、原因である。
無限大の生命エネルギーのみが実在している。
この1つなる実在している無限大の生命エネルギーが現象媒体を通して顕れている。
この現象を実在と思ってしまっている人類。この迷妄からの脱却が人類の進化のネックになる。
宇宙は1つなる生命体。実相界。これ以外に何もない。実相界が現象と云う仮相界を顕している。すべては1つなのである。肉体は生命である原因を顕す媒体が肉体なのである。
この肉体に生きると変化して止まない生老病死に囚われ、悩まされてしまう。
見えるものは見えない生命の化身、見えるものの中に必ず顕す原因が宿っている。
この原因である造り主が現象を顕している。人間というのは外から見た形を人間と呼んでいるのである。人間を顕しているのは生命である。神である。神は人なり、人は神なりである。
人間は神の子であると云っても神そのものであるというものはいない。原因結果は同じであるが祖神様と神の子を分けてしまっている。宇宙は1つなる生命なのである。祖神様と神の子は1つなのである。これを別々に分けているのが宗教である。1つのもの2つに分けてしまって争いを引き起こしているのが現代の宗教である。宗教家はそのようには思ってはいないと思いますが、分離感が争いを起こしているのである。これに気づく宗教家はいない。


 

生命エネルギーが形を止っている


生命エネルギーが形を止っている

宇宙は1つなる無限なる生命体である。無限生命の中に見える有限なるものは存在しない。
生命が形を止っているだけである。
1つなる生命が多神を顕している。実在しているのは1つの無限大の生命である。
宇宙は1つなる生命体、全知全能のエネルギー、知恵、創造の原理、宇宙の本源本質である。
この原点、原天が様々な現象を顕している。原因である創造主と造られた結果の被造物は別々ではなく、1つのものである。原因が結果である被造物に宿り、結果である被造物を顕しているのである。2つで1つなのである。宇宙は1つの生命体、1つの中に2つは存在しない。
1つの生命が現象の中に宿っている。
この現象だけを見て、原因である生命を見ない。見えない生命を切ってしまっている。
原因、結果が1つであれば、分離感は起きない。争いも起きない。見えるものだけしか信じない為に問題を引き起こす。
見えるものは現象であり、実在しない現象である変化して止まない現象をあると信じる心が意識レベルを下げ。現象の生老病死の四苦に囚われてしまう。
現象を顕しているのは内在する原因である生命である。これが実在しているのであって現象は実在しない仮相である、



 

2024年3月15日金曜日

人間は神の宮


人間は神の宮

宇宙は1つなる生命体。無限生命、普遍生命である。
全知全能の1つなる永遠なる生命体。
この永遠なる中性なる生命体が宇宙には独存するだけである。
この無限生命の中ですべての万象万物は1つなる生命によって現象化されている。
人間という現象には自由意志が与えられている。これは自由に無限大の生命エネルギーを顕現させる為に与えられている。この自由意志を外なる現象に意識を向け、人間を我として生きてしまった。神の顕現道具を自分と勘違いをしてしまった。人間は神の顕現装具であり、人間は存在しないのである。消え行き現象である。その為に善悪の木の実を食べ続けている。
この間違ってしまった意識の使い方の切り替えを現象界で行わなければならない。
神の波動から離れた生き方から、神の波動の中で一体として生きる生き方に戻さなければ糸の切れた凧のようになってしまう。その為の現象界なのである。
現象の中に神の種が蒔かれている。これに気づき、原点(天)の波動に戻して行く作業をする為の現象界なのである。現象界の消え行く中で豊かな生活をする為ではないのである。
気づいたものから意識の切り替えをさせて行くことで、地上界の波動を上げて行く。人間は生命エネルギーを顕現させる為に造られた神の宮なのである。



この世は思ったことが顕れる世界


この世は思ったことが顕れる世界

この世は想念により、想ったことが顕れる世界である。
良いことを思えば良いことが顕れ、悪いことを思えば悪いことが顕れる。
永遠と思えば永遠が顕わ、死を思えば死が顕れる。すべて自分の想念の結果として現象化される。現象化されているものは自分が想念で顕したものである。現れているものはすべて自分が想念で顕しているもので、自分の人生を造っている。
運命はすべて自分が造り主であり、その表現として現象化している。
低いものを意識すれば低いものが顕れ、高いものを意識すれば高いものが顕れる。
宇宙は1つなる永遠なる生命体である。万象万物は1つなる生命の化身として顕れている。
人間が現象化しているということは外なる現象を意識した為に顕れている。
本来の我は神我顕現する為に神によって造られた神の被造物なのである。神と被造物は1つである。原因、結果は1つである。宇宙は1つなる生命体なのである。
この光を顕現する為に造られた顕現道具を正常に使わず、間違って使ってしまった為に波動が低くなり。現象界から抜け出せずにこの現象界の留まっている。
本来の我は空であり、自ら下げた波動を自ら上げ、戻らなければならない。波動が上がらなければ上がるまで人間として再生される。



2024年3月14日木曜日

見える現象と見えない生命は1つである


見える現象と見えない生命は1つである

見えるものはすべて見えない1つなる生命によって現象化されている。現象は見えない生命が宿らなければ姿、形を顕すことはない。
原因、結果は1つである。原因は顕すもの、結果は顕されたもの。2つで1つである。
見えるものは現象であり、現象は外なる形の顕れであり、外なる形は内なる生命細胞体の姿、形の現象である。
内は1つであり、外は1つの生命細胞に集合体の形である。形があるのではない、内なる細胞が存在しているのである。内は1つ、外はその形、外は細胞体の現象の形、内は見えない1つの細胞体。内は1つ。外はその形、何処から見るかである。
外から見ると現象があると見えるが、内から見ると生命細胞体がある。
外から見ると様々な形があるように見えるが、生命は此処の生命ではなく1つなる生命がすべての現象を顕している。
1つなる生命細胞体の中に現象化して顕れている。生命は1つである。本源本質は1つなのである。宇宙生命は1つなのである。見えるものは1つなる生命の化身である。



 

宇宙生命は1つである


宇宙生命は1つである

 1つなる生命。宇宙は1つなのである。
この中に万象万物は現象として顕れている。
顕しているのは1つなる生命である。
宇宙の本源本質が生命である。
これが宇宙の原因なき原因である。宇宙の原点である。これなくして宇宙は語れない。
宇宙は全知全能の力であり、知恵であり、創造の原理である。
この本源本質が宇宙の原点である。1つなる実在である
人間は太陽系の中の地球に存在しているが、それは見えるものはすべて仮相である。
人間も仮相である。地球に見えるものは原因なる生命が現象を顕している。
見える人間の現象をあると信じる心が自縛させている。
 宇宙は原因があって現象を顕している。現象に生きる人間にはこれに気づかない。
すべては1つ。1つの顕れ。これが人類は理解できないで、争いを起こし、優劣をつけて消極的な仮相の人生を送っている。見えるものがなくて見えないものが実在しているのである。


 


2024年3月13日水曜日

現象、見えるものは低波動


現象、見えるものは低波動

この世は三位一体の世界である。気体、液体、固体波動が同居している世界。
天国も地獄もこの中に存在している。宇宙は天国のみが実在しているが、地獄は自ら創り出した幻想である。
この自分で創り出した幻想に囚われ、自分で自分を縛ってしまっている。縛っていることさえも気づかない程、現象に囚われ、自己催眠をかけ幻想の中に身を置いている。当たり前に思って、疑わずに。
気象も低気圧の時には雨、雹、雪になるがすべて1つの生命の結果として顕れている。
人間も姿、形があるということは様々な影響を受けてしまうということになる。低気圧の現象に振りまわされてしまう。この低波動は高波動によって変化させられている。生命波動が低くなると現象として顕れてくる。バイブレーションが高くなれば低波動の影響は受けなくなる。
低波動の現象は自ら造る意識波動なのである。


 

実相と仮相


実相と仮相

実相は実在しているもの。仮相は実在していないもの。宇宙には1つなる生命だけが実在している。見えるものは実在していない。1つなる実在の現象である。実在とは神、仏と云われる生命である。
実在が仮相の現象に宿り、実相が仮相を通して顕れている。
実相は原因なき原因、1つなる宇宙生命体が、宇宙の本源本質である。これが宇宙に実在しているのみである。
現象はすべてこの実相が仮相を通して顕している。仮相の中に必ず実相が宿り、現象なる仮相を顕している。すべては1つなる実在なる実相が仮相を通して顕現している。
見えるものはすべて仮相であり、背後にある実相が造り主であり、実在しているものである。
実相は永遠であり、仮相は消極であり、有限である。
宇宙は実相、永遠なる生命である。神一元である。実相が仮相を顕している、仮相に目をくらみ、本当の実相を見失っている。実相は無形無双である。
仮相は有限であるが、仮相の中に実相である永遠なる生命の我が仮相を顕している。
我は永遠なる生命なのである。見える仮相の消え行く我ではないのである。


 

2024年3月12日火曜日

気づけば正しい答えが出てくる


気づけば正しい答えが出てくる

気づきは外にはない。内にある。本心は正しい判断を出してくれる。絶対に間違いがない。直感啓示である。
生命は完全完璧である。この生命が肉体の中心に宿っている。中心生命である。これが神、仏である。
神、仏は生命であり、1つなる全知全能の神である。この全知全能の神が自らの住処を自ら造り、生命を顕現している。
すべては完全なる生命の顕現の為に神によって造られた人間、万象万物である。すべて生命の顕現の為に造られている。
気づけば正しいことを顕すことができる。これは自分が行なっていることではない。気づくということはすでにあるということである。生命が顕している。内には無限大に生命エネルギーが泉の如く、湧いている。尽きることのない永遠なる生命エネルギーが。
無限大の生命エネルギーを受け流す媒体として人間と云う表現媒体が造られている。
我は生命によって造られた生命の現現道具である。我は神そのものである。神によって造られた顕現道具を自分と錯覚しているだけなのである。我は現象なる我ではなく、現象を顕している造り主である。
天地一体、天によって地は顕されている。実在しているのは天のみである。
自他一体、すべては1つなる生命現象である。
人間が生きていると思う意識が自己催眠をかけてしまうのである。
現象界で色々と有名人が色々なことを云われているが、現象、仮相から話しても変化させることはできない。
蜃気楼にオアシスを求めて行くようなものである。実在に求めない限り、解決はできないのである。すべての答えは裡にあり。青い鳥である。
外に答えを求めると「得ようとするものは奪われる」とイエスも云っている。


今、想っている所に今の自分がいる


今、想っている所に今の自分がいる

宇宙は1つである。1つとは完全を意味する。永遠を意味する。この1つなる生命体、完全なる生命体の中に存在している。すべては完全なのである。
完全なる中に居ながら、何故不完全になってしまうのヵ?
現象は久遠にある現象をあると信じる心が不調和を起こしてしまう。現象は変化して止まない、この現象を意識することで不安、恐怖、悩みを自ら持ち込んでしまう。現象は実在しないのである。仮相なのである。変化して止まないものであり、久遠の中の現象なのである。
この現象を認めることで、完全なる細胞体をアンバランスにしてしまう。現象があると思う心がサタンであり、サタンは自ら創り出して、自分でバランスを崩しているのである。
外なるものは現象であり、これに意識があると自ら造るサタンに持て遊ばれてしまう。
すべて意識が造り出す。想念は実現の母である。この世は物質界ではなく、意識界なのである。意識によって現象化させる生命界である。


 

2024年3月11日月曜日

天上天下唯我独尊


天上天下唯我独尊

宇宙は1つなる生命である。1つなる生命だけが実在している。万象万物は1つなる生命の化身である。宇宙には1つなる生命のみが実在している。
1つなる生命がすべての万象万物を顕し、その中に1つなる生命が宿っている。全知全能の力、知恵、創造の原理が1つなる生命である。天上天下唯我独尊である。
すべてのすべてありてあるものすべて生命である。天上天下唯我独尊とは宇宙生命体のことである。すべては我である。我以外存在しないのである。1つなのである。
1つなる生命が多神を造る。多神は1つなる生命によって顕されている。すべては1つなのである。1つなる生命が現象を顕しているものを多神だけ見て多神が存在していると錯覚しているのが人類である。
天上天下唯我独尊とは1つなる生命が全知全能の神であり、創造の原理であり、我である。
宇宙即我である。すべては1つなる生命が実在である。1つなる我が本当の我であった。

 

宇宙の息は1息である


宇宙の息は1息である

宇宙は1つの生命体であり。1つの生命は1つの息である。
生命の1息が万象万物に宿り、生命活動をしている。
生きているのは表現媒体でなく、表現を顕している生命が生きているのである。
すべては一息によってすべての万象万物は1息の表現体として具現している。本源本質は無形無双の光であるが、現象は宇宙の様々な質料に宿るため様々な形態になって生命が顕れる。
様々な衣装があり、それを纏っているのである。
宇宙は1つの生命細胞体であり、この生命体が宇宙の塵、質料に宿っている。
人間も動植物この生命の1息で形態が顕れている。生命が様々な形態を通して顕れている。
様々な形態は様々な環境において生命活動をすることが出来るのは内なる生命の知恵、力である。形態はその環境に応じて内なる生命が形態を通して活動をしている。形態を動かしているのは内なる生命の力、知恵が動かしているのです。


 

宇宙生命 宇宙は生命である


宇宙生命 宇宙は生命である

宇宙は1つなる生命体。全知全能の生命体。
生命は1つなのである。様々な形は現象として顕わてているが、現象を顕しているものは1つなのである。宇宙は無限生命、普遍生命である。永遠なる生命体である。すべての本源本質、原点、原天である。大海原である。
宇宙には生命が生きているのであって現象は大生命の化身であり、1つなのである。
天地一体。天が生命が地なる現象を顕している。天と地は1つである。意識が天、つくり主が我であり、地は造らたもの、現象、表現媒体なのである。
地には地に内なる生命が宿り、地を表現している。造り主と造られたものは1つである。
宇宙には1つなる生命、全知全能のエネルギー、知恵、創造原理が初めから存在している。
原因なき、原因。生命が独存している。宇宙生命がすべての原天、天のみが実在している。
人間も生命の表現なのであるが、人間は宇宙の中に唯一存在し、一番偉いと信じて疑わない。
仮相だと気づかない。




 

2024年3月10日日曜日

人に成していることは自分に成していること


人に成していることは自分に成していること

宇宙は1つなる生命細胞体である。宇宙は1つなのである。1つの中で悪いことを起こせは全体に影響が及ぶ。1つの中で隣のものを気づ付ければ、自分にも影響が及んでくる。
例えば水をカルキで消毒したとする。人間は細胞体の集まりであり、微生物の集まりである。水を消毒することで人体の細胞が死ぬ、細胞が死ぬことで人間の細胞の微生物が少なくなる。
結果的にエネルギー不足になり、気の病になる、人間だけではない。生命全体に影響が及ぶ。
人間は現象を物質と思い込んでいる為、除菌をする。人間は微生物の集合体であることを忘れている。現象界に生きる人間はこの事が理解できない。
すべては1つなる完全なる生命であり、この完全なる生命体をアンバランスにしているのは他ならぬ仮相なる人間なのである。
完全なる宇宙の法則、自然界の法則を犯しているのは人間なのである。
この救済は原因は完全なのである。宇宙の愛の完全なる法則に戻す。この法則は1人、1人の中に救済の手立てがある。


人間が生きていると思うから働くのである


間が生きていると思うから働くのである

宇宙は1つなる無形無双の生命体である。宇宙には現象は実在していない。
現象をあると思う心が現象を創り出している。現象がないと思えば、現象は顕れることはない。
現象は外なる外観である。内なるものは生命であり、姿、形はないのである。
原因は内なる無形無双の生命、結果は外なる現象。現象をあると思う心が自我の心になり、それを維持しようとして外部からエネルギーを得ようとして働くことになる。
生命の目的は無限生命の顕現にある。すべての現象は生命の化身である。食べ物は生命エネルギーの化身である。外部からエネルギーを調達することは一度化身とし顕したものからエネルギーを取りだすということである。
我は生命エネルギーそのものであり、敢えて現象化したものから少ないエネルギーを取りださなくても良いのである。生命エネルギーそのものが我なのであるから。
働くということは現象界に生きているという証拠である。
永遠なる宇宙生命の中に居り、わざわざ有限なる生き方をしなくても良いのではないか?
これは絶対に犯すことのできない自由意志がが人間には与えられている。強制はできない。

 

2024年3月9日土曜日

宇宙はプロフェクトバランス 完全なのである


宇宙はプロフェクトバランス 完全なのである

宇宙は1つなる永遠なるフリーエネルギーの生命の世界である。全知全能の力、知恵、創造の原理の世界である。1つなる生命が様々な形態を顕し、生命活動をしている。すべては1つなのである。
現象は久遠の現象なのである。1つなのである。
地上界に争いがあるということは宇宙の法則から外れているということである。宇宙の法則違反であるということである。
宇宙は永遠である。この中で有限なる生き方はないのである。永遠の中に有限は存在しないのである。
万象万物は1つなる生命の化身であり、すべては1つなのである。1つなる生命である。
生命は愛の法則、陰陽の法則、原因なき、原因。宇宙の永遠なる本源本質なのである。
生命が生きているのであって現象が生きているのではないのである。生命は自らの住処を自ら造り、その中に宿る生命、神なのである。見えない生命は何かの媒体がなければ顕すことができない。現象は生命が宿る表現媒体である。


 

外なる現象を霊化させる


外なる現象を霊化させる

宇宙は1つなる霊体である。これが宇宙の本体である。キリストが云われる原因なき、原因である。すべての本源本質は1つである。1つなる生命である。
宇宙は三位一体であり、気体、液体、固体が同居している世界である。バイブレーションにより変化している世界である。
これを変化させているのは永遠なる1つなる原因なき、原因。宇宙生命である。宇宙生命が多神を顕している。多神があるのではなく、1つの生命が多神を顕している、
人間も素直に1つなる生命が多神を顕していることを素直に認めることが出来れば、人間も多神であり、人間は存在していないことに気づく。
 現象の原点は1つなる生命であり。すべての本源本質である。この本源本質がすべての源である。源流は1つの生命エネルギーが源流である。原点、原天である。原天は大海原の無我である。
現象化している現象意識から実在意識に切り替えを行い、分離感で見ていた意識を霊肉一体の1つの意識に戻して行く、1つと云うことは光である。天が地を顕している。我は地ではなく、天なる我、原因なる我に戻る。
現象界で成すべきことはお金儲けではない。原点に戻るために現象界にいるのである。
人間には自由意志が与えられているため、この地で遊ぶも本来の我に帰るも自由なのであるが。強制はできない。自分で下げた波動は自分で上げなければならない。
我が裡に神の種が宿っており、それに自分であることに気づき、現象の我から生命の我に変性させて行く。



2024年3月8日金曜日

原因、結果は1つ


原因、結果は1つ

顕されているものには必ず顕しているものがある。
造られたものは必ず造り主がいる。原因がある。
宇宙は1つなる原因、無限生命、普遍生命が原因だけが実在している。万象万物はすべてこの原因なる本源本質から現象化している。原因と結果は1つなのであるが、人間は原因と結果を分けて結果だけを見て分離感にして見てしまい、天と地を分けてしまった。天によって地が顕されていることに気づかなくなってしまった。
本来の我は人間という現象ではなく、人間と云う現象を顕している原因が我なのである。
造り主は必ず造られたものの中に宿り、現象を維持している。見える外観ではなく、外観を顕している内在している本源本質が我であり、神であり、仏である。
即身即仏なのである。原因は宇宙法則であり、無形無双の原因なき、原因、愛の法則、光である。
姿、形の結果の現象から見ようとしても本源本質は見ることはできない。心の目で見なければならない。


 

現象界で成すべきこと


現象界で成すべきこと

今、現象化されているということは中心バランスが崩れているということである。
完全バランスであればこの現象界には存在しない。
この世は三位一体の世界である。この三位一体の世界の中で現象の固体波動領域にいる、我は気体波動の世界が固体波動を現象化させているが、意識が気体波動ではなく、固体波動意識の為に昇天することが出来なかった。
今、固体波動から気体波動に上げて行かなければならない。固体波動の中で個体現象を通してバランスを崩さず、バイブレーションを上げて行く。現象に生きてしまうと波動を上げることができない。現象を顕している中には神の種が蒔かれている。この神の種に油注ぎをして固体波動から気体波動に戻る。宇宙は神一元の世界であり、我は現象界の仮相の人間ではなく、無形無双の生命の我なのである。

 

2024年3月7日木曜日

万物の霊長たる人間の使命


万物の霊長たる人間の使命

人間は地上界に何故、存在しているのか?
宇宙は1つなる生命である。1つなる生命体の中に2つはない。1つであるならば、見えるものは現象であるということである。
人間が生まれる時に付ける名前を「命名」と書く。
命の名前である。命は宇宙に1つしかない。見える現象の中には必ず命が宿っている。
この命の名前が命名である。肉体の名前ではないのである。人の名前は命の名前。人類80億以上いるが命に名前を付けている。宇宙には1つの生命だけがある。80憶の名前は1つなる生命の分霊ということになる。
分霊は神そのものである。神の子と神は1つである。
神はこ゚の分霊の媒体を使って生命を顕現させる。この事を使命と書く。命の使いである。
この現象界ですることは無限大の生命エネルギーを人間と云う媒体を使って現現させる。
この神によって造られた顕現道具を自分と勘違いをして使ってしまった。
自分は人間ではなく、神なのである。宇宙には神しか存在しないのである。
万物の霊長たる人間は人間ではなく「命の名」は生命、神の名なのである。


 

我は無形無双の神である


我は無形無双の神である

宇宙は1つなる神の細胞体である。
宇宙は神以外何も実在しない。全てが神、1つ成る生命体である。
様々な現象は神の化身、現象化されたもの、人間も現象である。
人間は神によって造られたと云っても神を祖神様と神の子に分けてしまう。原因、結果は1つなのだから原因が神なら結果も神である。
我が中に神、仏があるのだから、外に神を分離させて神を祀ることはしなくて良いではないか?
イエスも汝の神は汝の内にあり。汝の神は汝の手よりも足よりも近い所にいると。
釈迦も汝の仏は汝の内にあり。法灯明、自灯明汝の主としなさいと。汝の仏は汝の内にありと。
真理は1つである。1つの中に2つは存在しない。原因と結果は1つなるものを宗教は分離させ、2つに分けてしまった。2つに分けることは子羊達を利用するということである。
宗教は無料で法を説いていますか?それが答えです。自分の中に仏がいるのに外に求めさせる。お金を蝕む。宗教という字は宇宙の教えと書く。人間そのものが宇宙なのである。
お金を払って仏、神を求めることではない。仏が人間を顕しているのだから。
すべては1つ。真理は1つ。天地一体、心身一体。自他一体。すべては1つの原因の顕れである。


2024年3月6日水曜日

人間は神の顕現媒体、神の宮である


人間は神の顕現媒体、神の宮である

宇宙は1つなる生命体。神一元の生命の世界。
宇宙に実在しているのは神のみが独存しているだけである。神とは神様がいる訳ではない。無形無双の生命が実在しているだけである。
この1つなる生命が万象万物を顕している。
聖書にもあるように「すべてのすべてありてあるものは神である」と。人間は宇宙の塵にて人間の形を造り、息を吹き込まれたと。
宇宙にあるのは無形無双の生命だけが実在している。
万象万物は生命の化身であり。生命エネルギーが顕現道具として顕している。
人間には自由意志が与えられ、神に似せて造られている。この自由意志を現象界で使い、自ら自縛している。神である我が顕現道具、神の宮を自分と勘違いをして、変化して止まない諸業無常の波動の低い世界に意識を置いてしまった。
本来の我は無限なる生命エネルギーを顕現する為に造られた神の宮であり、神の分霊であり、神そのものである。